HIROAKI IIYAMA OFFICIAL
 

 

 


歳三調べ報告 { 日野編 〔其の一〕}
歳三調べ報告 { 日野編 〔其の二〕}
歳三調べ報告 { 日野編 〔其の三〕}
歳三調べ報告 { 文献資料編}
歳三調べ報告 { 京都編 其の壱}
歳三調べ報告 { 京都編 其の弐}
歳三調べ報告 { 京都編 其の参}
歳三調べ報告 { 京都編 其の四}
歳三調べ報告 { 京都編 其の五}
歳三調べ報告 { 京都編 其の六}
歳三調べ報告 { 京都編 其の七}
歳三調べ報告 { 日野番外編}
歳三調べはてなクイズ?!{其の一}
歳三調べはてなクイズ?!{其の二}

【歳三調べ報告 { 日野編 〔其の一〕}】

平成14年12月5日の晴天の朝、JR日野駅に降り立つ。
ワチキのかすかな記憶を頼りにめざすは、かの土方歳三の資料館。
この駅でいつか歳三の顔写真入りのポスターを見た覚えがあった。
ここ日野に、あの新撰組副長土方歳三の資料館があるんだぁ〜?と。
が、駅構内にあったはずの案内ポスターがどこにもな〜いのである。
改札を出て、駅周辺を探すが案内標示板すらまったく見当たらない。
記憶では確かにここJR日野駅で下車すればあるはずなのに〜?!
天保6(1835)年5月5日にこの世に生を受け、関東は武蔵国多摩郡日野宿石田村出の
新撰組副長土方歳三義豊(よしとよ)資料館。

しかたなく泣く通りすがりの地元民らしき中年のご婦人に尋ねると、
ここJR日野駅ではなく、私鉄京王線高幡不動駅近くらしいとのこと。
そこへは歩いて行けますか?と聞けば、行けない事は無いとの返事。
すでに傷心のワチキにはその微妙なニュアンスを察知できなかった。
早速、ご婦人の指さす方角に足を踏み出す。
一路めざすは、多摩モノレール線の駅 “万願寺” 。
その駅周辺が “石田” という地名で、そこにめざす資料館があるらしい。
迷うたびに行き交う人やお店で尋ねながらの旅は
一山越えてまた越えて、な、なんと1時間半にも及んだ。
道すがらは、下調べもせずに衝動的行動をしている我を只々悔いる旅となっていた。
やがて、見上げるかなたにモノレールの高架線が見えてきた。
急ぎ向かった “万願寺” 駅。その駅構内には、“新撰組副長土方歳三生誕の地” と
書かれた柱があった。胸が熱くなった。
そして、記憶を思い返してみた。あのポスターを見たのは?・・確か“ばかは〜”の執筆中だった。とすれば、平成12年5月初め頃か?!
となると、歳三生誕祭か何かの催し案内ポスターだったかもしれない。
“ばかは〜”の執筆は主に移動中の電車の中でやっていて、いろんな電車の車両連結付近が
ワチキの指定席だった。右手には鉛筆、左手に覚書き用大学ノートを持ち、
思いつくままに書き止めながら電車を乗車下車していた。
そんな時に見かけ、きっと記憶違いをしたにちがいない。
と一人納得し、高鳴る気持ちで案内図にある資料館へと向かった。
するとお決まりの「アレ〜、おかしい? 又行き過ぎちゃった!」かな?という閃きを感じ、
昼休憩している土木作業員風の中年紳士に尋ねて、
やっとこさっとこ念願の “土方歳三資料館” の前に到着した。

なんとそこは大きな庭のある邸宅で、表札に“土方” の文字があった。
大きな御影石の門柱の左に“土方歳三資料館” の鉄板プレートがあり、
よく見ると“開館日は毎月第3日曜日の13:00〜16:00”
ということは、今日は平日だからやってな〜い?! 
思わずガックリと膝から崩れ落ちるワチキの姿が、我が脳裏に浮かんだ。
閉ざされた頑強な大きな鉄製門扉がワチキの前でどんどん伸びて
六本木ヒルズほどの高さになったようにも見えた。
だらりとうな垂れた我が首をばゆっくり挙げると、
大きな門扉の鉄格子の隙間から遥か向こうの庭にあるブロンズ仕上げの銅像が目に入ってきた。
お互い目線が合ったようにも感じた。
もちろんそのブロンズ像は歳三本人の胸像であり、
五稜郭当時のものらしい様式軍服姿をしていた。
思わず右手に持っているハンディカムを向け、ズームアップからゆっくり画面をひいてくるうちに、
我が脳天に閃光が奔った。
せっかく来たんだから、何か資料になるものを購入できないものか?!
・・・で、右の門柱近くのインターフォンのボタンを勇を奮って押した。
♪ピ〜ンポンピンポン♪
するとしばらくしてインターホンの向こうから、
  「どちらさまでしょうか?」
と、上品な響きのご婦人の声が聞えてきた。
すかさずワチキは、
  「あのう、私は新宿から資料館を見学に来たものですが、残念ながら今日は休館日とか。
そこで何か資料になる文献でも購入できないか?と思って・・・、やはり無理でしょうか?」
と、ひたすら頭を米つきバッタする。するとご婦人、
  「すでに出版している本程度なら販売していますが、今日は!?」
そこにワチキは尚もたたみかけるように、
  「少しだけでもそのご本を拝見できないでしょうか?
   どうかぜひ、お願いします!」
が、インターホンの向こうからは長〜い沈黙!?
再び頭をうな垂れるワチキでした。
やはり無理かなぁ〜?!
するとそこに、再びあの品の良いやさしい声が聞えてきました。
  「はい、わかりました。どうぞ、お入り下さい!」
それを聞いた我が右耳はあのダンボ耳ほどにもなり、
我が両足は前に聳える六本木ヒルズほどにも見えた門扉を一跨ぎできそうな、
まさに天にも昇る心地となりました。
思わず門扉を跨ごうとするワチキに、
驚いたようにインターホンからあのご婦人のお声が聞えてきました。
  「入り口は門の右手にございますので、そこからお入り下さい。」
  「あっ、はい。」
とワチキは再び米つきバッタ状態で入り口へ向かう。
でいよいよ、待望の土方家敷地内にある “資料館” へ・・・!
話はまさに宴高輪プリンスホテルではござるが誠に残念ながら、
その模様並びに続きは次回へとさせていただきたく候。悪しからず?!

尚、これから “土方歳三資料館” へお越しの方はくれぐれも前もって開館日
並びに時間等をご確認の上お出で下さいますようお願い致し候。
私が如き行動は、どうかご遠慮下されたく御願い申し上げ候。
何分ご家族の皆さまのご迷惑になり候故、是非ご理解下されたく重ねて篤く申し上げ奉り候。

又すでにご報告済みの通り、私独自の “チャンバラ” を追求しつつ
“剣(つるぎ)塾” 太刀稽古を仲間の皆さんと一緒に、
毎週 額に汗しながらJR三鷹駅にある “イマジン”稽古場にて 懸命にやっており候。
ひたむきに志のまま生きた、あの維新の志士たちの情熱をも求めて・・・。
もしもお時間が合う方がいらっしゃいましたら、ご遠慮なく稽古場にお越しいただきたく
若手衆ともども心よりお待ちしており候!

〜追伸〜
 いずみ嬢よりお尋ねがあった、
 拙者が「チャンバラを好きになったキッカケはなんでしょうか?」
 と言う申し出に恥ずかしながらお答え致す。
 予てより、いずみ嬢もご存知の通り拙者は昭和の生まれ、
 しかもNHKテレビ放送が始まった記念すべき年の生まれにござる。
 故に幼き頃よりテレビに慣れ親しみ、当然の成り行きとして自然、 “テレビの虜” となり候。
 そして、見ている番組がそのまま路地裏の子供遊びとなったのでござった。
 山城新伍主演の “白馬童子” & “風小僧” や、水木譲主演の “忍者部隊月光” を始め、
 大瀬康一主演の “隠密剣士” などなどチャンバラ時代劇の数々・・・。
 原っぱの野球か、路地や土手や神社でのチャンバラが
 塾通いのなかった拙者の時代の定番子供遊びでござった。
 然るにまったく意識なしに自然と “チャンバラ” は拙者の体の一部、
  いや血の中に流れるようになったのではなかろうかと今心得え候。
 「如何かな、いずみ嬢! ご質問の返答になり申したかな?」
 之からも方々にはご遠慮なくご質問くだされ〜い!
 拙者も知りうるかぎり、お答え申し上げる所存にござる。

  では今後とも、よ・し・な・に!

2003年6月9日(月)


【歳三調べ報告 { 日野編 〔其の二〕}】

平成14年12月5日の晴天の昼過ぎ、歳三生家の地に我立つ。
ブロンズ像の前に歩み寄り、歳三の胸像とはじめて向かい合う。
歳三の生家私邸の庭にワチキ一人で、この像と今対面している。
胸の高鳴りとともに、頭の中にはすでに時空を越えた風が舞い、
あたかも幕末期の大地に立っているかのようでした・・・。
今想ってもなんとも強運な、運命を感じるありがたい瞬間でした。
しばらくして、カーテンの開かれる音が聞こえ引き戸が開きました。
「どうぞ、おあがりください。」
そこには声同様に品のある物腰のご婦人が佇んでいました。
言われるままに靴を脱ぎ、あがった先は10畳ほどのお座敷でございました。
そここそが、めざす “土方歳三資料館 ”なのでした。
我が目の前、正面にある仏壇の中央にはかの名高き新撰組副長土方歳三の
戒名(法号)が記された位牌がありました。
“歳進院殿誠山義豊大居士” (さいしんいんでんせいざんよしとよだいこじ)
その右斜め上の額にはあの有名な、箱館で撮られたらしい生前最後の写真だという
様式軍装姿のミドルショットの歳三が、こちらを見下ろしていた。
恐縮し正座していると再びご婦人が口を開きました。
 「では、ここにある展示品をご説明いたしましょう。」
 「いいんですか、ご本だけわけていただければ・・・。」
 「いいですよ。外出するまでまだ少し時間がありますから・・・
  いつもは沢山の皆さまの前でお話していますが、今日は?!」
 「恐縮です! あのう、ご料金は?」
 「入館料の3百円をいただきます。」
 「その料金だけで私にだけ、お話いただけるので???」
 「もちろんですよ。」
 「あのう、ビデオ撮影をしてもよろしいでしょうか?」
 「申し訳ありませんが、それはご遠慮ください。」
 「あぁ〜、はい、わかりました。」
そして、ご婦人の資料館ガイド説明が始まりました。

まずは、庭先にある歳三本人が植えたと言う “矢竹” の説明から、
“おいら、大人になったら侍になる!” と庭の端に矢をつくる竹(矢竹)を植えたとか・・・
今も青々と葉を見事に茂らせている。
また、生家は1990年の区画整理の都合で改装されたが資料館入口の二本の柱と大きな梁は
当時のものらしい。
入口右側から重々しく掛け軸が数本並び、続いてガラス張りの棚の上には
展示品の数々が並んでいました。
その一つ一つをご婦人は実に懇切丁寧にご説明してくださった。
長兄等に宛てた直筆の手紙や本人が詠んだと言う句集、
そして新撰組当時着用したであろう表面に二箇所の刀傷もある鉢金(はちがね・・頭部保護の為のもの)や鎖帷子(くさりかたびら・・・鎖を綴り付けた防具)・鎖頭巾・鎖手甲もあり、
歳三の武士(もののふ)ぶりが目に浮かぶようでした。
そして箱館 五稜郭に向かう直前、部下に渡し生家に届けられたという歳三の愛刀である
慶応3年2月11代目 “藤原和泉守兼定” の銘のある一振りが威風堂々と飾られていた。
手にしてみたい衝動をじっと堪えるワチキでした。
他には剣術修行を兼ねて木刀をのせて行商していた薬箱(当時生家では“石田散薬” という薬を製造販売していたらしい)や製薬関係の道具類などなど。
また、入り口左側にある机の上には沢山の歳三関係書物やグッズが整然と並べられていた。
時の経つうちに和んできたワチキは次回公演する資料集めが目的で訪れた旨を告げた。
ご婦人は優しくうなずき微笑まれた。
これまでにも多くの方々がここを取材の為に訪れたのであろう、きっとあの司馬遼も!
・・・只々感動のワチキでした。
そして、ご説明いただいたご婦人こそ、歳三の直系の・・・ではなく、
土方家を継いだ歳三の次兄義厳から数えて5代目の家督にあたる佑(たすく)氏の奥様である
陽子さんでございました。
開館日には自らマイクを握り、テープではなく肉声で解説をしておられるらしい。
歳三の “家守” が、歳三とは血のつながらない嫁の陽子さんの生涯の仕事となったそうです。
そして、これが子孫としての役目!と感じているとおっしゃる。
またまた大感激涙うるうるのワチキでした。
そこへ奥座敷から電話ベルが鳴った・。
 「ちょっと、失礼します。どうぞごゆっくりご覧になってて。」
 「はい!」
と、礼を言うワチキの脳天にドッスンと閃光が落ちた?!
これって、ビデオ撮影チャンス???・・・頭の中がグルグルまわる!
そしてふと見上げたワチキの目と、額のなかの歳三の視線があったような気がした!!
・・・・・・おっと手には汗が、喉も乾き候故に
この続きはどうか次回へとして戴きたく御願い申し上げ奉り候。

尚、休館日にもかかわらず “土方歳三資料館” にてやさしく丁寧に応対していただいた
館長の土方陽子さまにはこの場を借り、心より御礼申し上げます。

2003年6月24日(火)


【歳三調べ報告 { 日野編 〔其の三〕}】

平成14年12月5日の晴天の昼過ぎ、歳三生家の座敷に我正座す。
手は汗ばみ、喉は乾き、心の臓はまさにバクバク状態の超興奮状態のワチキであった。
“絶好の撮影チャンスじゃないかぁ!”と囁く悪魔と、
“そんな行為はルール違反よ!”という天使がワチキの頭の中を駆け廻っていた。
一息深呼吸をし、ゆっくりと右手に握られたハンディカムを見つめる。
ふと見上げると、そこには“土方歳三義豊”がいた。
悩んでるワチキを天から見下ろし、微笑んで見ているかのような眼差しだった。
“好きにするがいいさ!”とでも言うかのように・・・
で、ワチキはあらためて考えてみた。
“撮ること”が、今の自分に本当に必要なことなのか?!を・・・
そしてズバリ結論は、“撮ることにした!”。
その理由は、どうしても歳三の愛刀の資料を手に入れて、より正確な拵えの刀を造り、
手元に沖田かったから?? いや、置きたかったからである。
そして耳を澄ませば、館長さんはまだ電話中のようであった。
でまず、仏壇の位牌に手を合せ合掌し、右斜め上の額の中の歳三にも頭を下げて礼をし、
急ぎハンディカムを廻した。
夢中でパーン、パーンアップ・ダウン、ドーリー、ズームイン・アウト etc.・・・
まさにワチキの興奮したままの超リアルな手ぶれアングルのライブ感溢れる
ドキメンタリー・タッチ映像となりました・・・モチ、ちょいと観ずらい!?
やっとこさっとこ撮り終えると、館長さんの声がした。
 「お決まりになりましたか?」
 「えっ?」
 「ご購入のご本?」
 「あぁ、すいません。もう少し・・・。」
ワチキは大慌てで、数ある文献の本に目をパーンしました。
そして、一冊の歳三を特集した雑誌とあの歳三写真入りテレカを購入しました。
代金を納めると、館長が一冊の芳名帳を出し、署名を!と。
それは来年のNHK大河ドラマ「新選組」の放送内容に関する嘆願のものでした。
快く署名し、資料館を退室しました。
帰り際改めて、様式軍装姿も眩しい歳三胸像と
本人が自ら植えて侍への志を幼い頃からあらわしていたという矢竹に頭を下げました。
そして、土方家門前でもう一度最敬礼し、万願寺駅に向かいました。
帰路はもちろん徒歩ではなく、多摩モノレールにての帰還といたしました。
モノレール到着後、車両連結近くのいつもの指定席に座り、
展示品ガイド説明の際にいただいた1枚の栞を広げました。
歳三の略歴&系図と裏には日野新選組マップが?!・・・あっと見たとたん
ワチキの脳天に雷鳴とともに稲妻型閃光が落ちました。
えっ〜、資料館と反対の線路向こうに歩いて僅かのところに
歳三のお墓があるお寺があった〜ん・・・?!

♪〜残念無念失敗失態情けないやら口惜しい、まっこと誠に僅かる、
すれ違いの事柄なれど後ろ髪、ひかれる思いは一山二山いい山と募るばかり、
がしかしここは日本男児の武士(もののふ)ぶりを、発揮するべしと決心改心避雷針、
募る思いを諸手大上段から、ズパッーとバッサリ一刀両断に斬って心を振りきって、
次なる出会いに期待をば、しようとゆっくり腕組(く)みながら我が瞼、そっと閉じればその姿、
かの思案顔の歳三さんに、さも似た〜り!?・・・と、一人微笑むワチキにて候〜♪

それでは【歳三調べ報告】の続きは、また次回へと致すべく御願い申し上げ奉り候。

〔追伸〕
  お陰さまにて、上記の歳三愛刀 “藤原和泉守兼定” の大太刀
  並びに脇差の “堀川国広” 複製ジュラルミン刀は、前回公演の “ばかは〜”の折にも
  石松任侠刀などの剣を造りいただきし浅草 “すずや” さんに依頼し、
  先々月見事な拵えが出来候。
  只今、こころざしの支えとして稽古場にて使用している旨、報告いたし候。

〜お答え致し候〜
   あの太閤殿下のお膝元 “尾張”にお住まいのご婦人から拙者宛てにお尋ねがござった。
  「最近、凝っているものは?」という問いでござった。
  え〜只今太刀稽古中にて、肩と腰のあたりが少々凝っており候?!・・・
  ちょいとボケをいたし候、失敬致した。
  実は、今まさに拙者嵌っている物がござる。
  もちろん溝(どぶ)ではござらん。
  それは、稽古場途中の商店街のゲーセン店頭にあるのでござる。
  其方 “尾張” にもありまするかな?・・・それは金弐百圓也を入れ、ハンドルを右に廻すと、
  下から丸い半透明のカプセルが出てくる西洋式カラクリ販売機、
  その名もズバリ “ガシャポン!” 。
  数ある種類の中で拙者が嵌っているのは、某有名玩具メーカーの販売による
  “THE・DOGふわっとパペット3・4”シリーズにて候。
  これまでに、“パピヨン”・“チワワ”・“ダックスフンド”・“マルチーズ”・“パグ”・“ブル・テリア”
  “ドーベルマン”・“ゴールデン・レトリバー”の8匹をゲット致し候。
  誠にいと可愛らしきことこの上なき品物にて候。
  あとは“シバ” と “ジャック・ラッセルテリア” が残っており候。
  さてさて、あと如何ほどの資金が完全制覇までにかかるやら、天のみぞ知るに御座候。
  尚もし?他のシリーズをご存知な御仁がいらっしゃるなら、ぜひご連絡してくだされ〜い。
  さて “尾張” にお住まいのご婦人にはご満足いただけたでござるか?!
  それではこれにて、返答と致し候。
  拙者としては今後も色んなお尋ね事にお答えする所存にて、
  皆々さまにはどうか・・・よ・し・な・に!?

2003年7月7日(月)


【歳三調べ報告 { 文献資料編}】

 あくる平成14年12月6日より、我Bookoff & 古本屋巡りと成る。
自宅近くの東中野店に始まり、中野早稲田通店、高田馬場店、神楽坂店、方南町店、
江古田店、大久保店など等、行く先々で古本屋巡りとなりました。
そして見つけた時の衝撃たるや、まさに天にも昇るが如く候。
そこで今までに購入し、読み終えた本の紹介と寸評を今回は記載致し候。

*歴史群像シリーズ 【土方歳三】 学習研究社
寸評: 平成14年12月5日に土方歳三資料館で購入した
記念すべき初文献の雑誌。
とにかく土方歳三入門書としては致せり尽せりで最適。
写真にイラスト、図解説明と実にわかり易い事この上なし。
おまけに、検証新撰組必殺剣とは感謝感激雨あられ!

*歴史群像シリーズ 【血誠新撰組】 学習研究社
寸評: このシリーズは実に見やすくてわかり易い。
新撰組入門書としてぜひこれもお勧めである。
特別付録:幕末京洛マップ&主要隊士一覧も有り。
特に天然理心流奥義談義は、実に興味深かった。

*燃えよ剣(上)・(下) 司馬遼太郎 新潮文庫
寸評: 司馬遼ファンの私にはたまらない作品。
華麗な文章に、惹きこまれる展開、そして〆に涙。
さすが司馬遼!!
又あとがきを読んで驚いたのは
あの私一押しの“竜馬がゆく”も同じこの年に書いているとは只々感服。歳三の魅力&男のロマン満載。
特にラスト近くで愛刀和泉守兼定を総司に似ているからと
採用した十五歳の市村鉄之介に手渡すくだりは、圧巻!
資料館で実物を見た私は只々涙々でございました。
そして、ラストのくだり、箱館五稜郭戦で官軍士官に
「名は何と申される?」と聞かれ、
「名か? 名は、新撰組副長土方歳三!」
・・・もう、司馬遼ファンにはたまらない瞬間でした!!

*新選組血風録 司馬遼太郎 中公文庫
寸評: 恥ずかしながら、二十数年前に購入すれど読みきれず、
今回再チャレンジしました。
十五の短編で新撰組隊士
銘々のエピソードが人間味豊かに書かれています。
「沖田総司の恋」と「菊一文字」&「虎徹」が心地良い。

*ビジュアル日本の歴史
             11
新撰組見参!        (株)デアゴスティーニ・ジャパン
*ビジュアル日本の歴史
             12
幕末の志士たち
*ビジュアル日本の歴史
             13
新江戸幕府の崩壊
寸評: 漫画に実写真にイラストと、これで幕末日本史はバッチリ!
実にわかりやすい幕末ダイジェスト雑誌。
こんな雑誌があった?!とは、涙ちょちょぎれ候。

*新選組 手塚治虫 集英社文庫
寸評: あの巨匠が新選組を扱った漫画を描いていた?!
驚き桃木、山椒? いや、参照の最高の漫画本でした。
内容はさすが巨匠作品らしく人生哲学が物語にあふれた
まさに手塚ワールド!
新撰組資料文献としてよりは、巨匠の深き心根、
人生観を垣間見た秀作の作品でした。

*新選組 黒鉄ヒロシ PHP研究所
寸評: またもやこの方も、この巨匠までもが新選組を
描いていました。それも、時代考証が実に丁寧に
しっかりとしていて黒鉄氏がいかにこの題材に魂を込めてたが 覗える黒鉄ワールド作品。
黒鉄氏独特の感性で、
鋭く新撰組をまさに生き物が如く描き、
驚嘆に値する構図の連続の漫画本でした。

*史伝土方歳三 木村幸比古 学研文庫
寸評:

平成13年初版文庫本。
すでに新撰組関係作品を数冊出版している著者が
歳三の生涯を多摩の石田村のバラガキ(乱暴者)の
時代から北辺の地に散るまでの35歳の生きざまを
史実にそって丁寧に描いている。


*黒龍の柩 【上】 北方謙三 毎日新聞社
寸評: 司馬遼ファンの私には初めは物足りない展開だったが、
勝海舟のキャラクターに魅せられるうち、
何度か目がしらが熱くなった。
上巻終わりに、近藤が土方に言う、
「わざわざ別れはしなくてもいいぞ、歳。
 俺たちはいつも、別れを覚悟して生きてきたのだからな。」
すると、土方がかすかに頷いた。・・・しぶい構成にて候。

*新選組遺聞 子母澤寛 中公文庫
寸評: 子母澤氏新選組三部作最終作品。
全編が取材聞き取りエッセイ風仕立ての内容になっている
ゆえに超リアルタッチのドキメンタリー感が心地良い。
10頁程の「沖田総司房良」の短編がある。
歳三に関しては、ちょっぴり6行程度の記載があった。

*コミックアンソロジー
 新撰組<血風編>
  学研ピチコミック
寸評: 女性漫画家&女流作家の作品短編集だけに、
歳三も総司も実に美しく、
まさに宝塚歌劇が如き容姿で登場!?・・・
ゆえに乙女チックな内容かと思いきや、どの作品も
なかなか深みのある仕上がりになっています。
中でも、岩崎陽子女史のスペシャルエッセイ“滅びの美学”
が武士(もののふ)の生きざまとして、あらためて心に残る。

*無頼 第1巻 岩崎陽子 角川書店
寸評: ビジュアル系の美しさと、妖艶さが加味された漫画である。
主人公に斉藤一(はじめ)だが、
中学時からの漫画家に憧れるきっかけが「新撰組だ!」
という作者の意気込みが歳三像にもある。
「副長の武士道は?」と斉藤一に問われ、歳三曰く、
「武士として、どう行動し、どう落としまえをつけるか、
 それを俺の生きざまで示すだけよ!」・・・しびれ候!?

*幕末風雲録 誠
    第3巻
伊織鷹治 講談社
寸評: とにかく勇ましく迫力ある構図の連続の男たちのドラマに
仕上げた大活劇風新撰組漫画である。
この巻は、試衛館当時の歳三の野良犬的武者ぶりが
実に清々しく、愛刀 “和泉守兼定”のくだりも
こころに残る迫力で描かれている。
「池田屋事件」等の巻も見たい作品でもある。

*風の如く火の如く
  第1・2・7巻
島崎譲 講談社
寸評: 島崎氏曰く、19歳で竜馬に出会って以来
幕末という時代に魅かれた夢がこの本で実現できた!
と公言して憚らない作品だけに力作である。
なんと沖田総司に双子の兄がいたという
奇抜な設定にも拘らず、
史実を踏まえてのドラマ展開で無理なく面白く、
そして熱い!
大政奉還により動揺する隊士に、歳三は一喝する。
「おろおろしてんじゃねえよ、みっともねぇ!
 侍ってのは、命果てるまで、
 任を退(しりぞ)かねえもんだ!!
 いいか、時代が花火を放った。
 俺たちの出番はこれからだ。
 さあ、市中見廻りに出る準備にかかれ〜ぃ!」
 ・・・又々しびれ候。

*天まであがれ 第1巻
  
木原敏江 秋田文庫
寸評: 女流漫画家の中でも多大な影響力を持つという
木原女史らしく高い気品と志があふれた作品。
司馬遼の「燃えよ剣」に士道不覚悟に憧れていたという
女史の心意気が覗える第1巻でした。
女史の数ある作品群の中で文句なしに泣ける
ベスト3のひとつとか・・・!
最終巻のくだり、
「だから、君よ、天まであがれ・・・!」
の名セリフは、漫画史上に残る美しさとか!?

*真説新選組 園田光慶&久保田千太郎 SPコミックス
寸評: あの腕は立つが酒乱で女癖の悪く、始末におえない
乱暴者の芹沢鴨をアウトロー的キャラクターにした
意欲作品。
中の新撰組隊旗 “誠” 一字に込められた
「赤誠一途(せきせいいちず)」の誓いのくだりが印象深い。

歴史と史蹟をたずねて
   新撰組
童門冬二 成美堂出版
寸評: 昭和51年初版の本なので、すでにもう見ることが出来ない
“池田屋” 内部写真や改築前の歳三生家等の
興味深い写真と道しるべ付き史蹟探訪メモがある貴重な本
しかも童門氏の明快で、まるで一篇の詩が如く綴られた
新撰組史もこころに残る。

*購入すれど未だ未読の文献
 
*土方歳三散華 広瀬仁紀 富士見書房
*新選組傑作コレクション 全2巻 河出書房社
*幕末新選組 池波正太郎 文春文庫
*新選組銘々伝 早乙女貢 徳間文庫
   
*只今探索中の文献(もしご存知の方は、是非ご一報を!)
 
*試衛館の鬼 小島剛夕 実業之日本社


  それでは【歳三調べ報告】の続きは、また次回へと致すべく御願い申し上げ奉り候。

2003年7月23日(水)


【歳三調べ報告 { 京都編 其の壱}】

 平成15年3月8日朝、小雨降る京都は中央区坊城通り仏光寺北入ルにあるお寺に我は立つ。
一日だけの “新撰組京都取材旅” の最初の訪問先のお寺である。
その寺は、なんと西暦2年(991)に創建されたという長い歴史のある律宗・壬生寺。
あの沖田総司が近所の子供たちと境内でよく鬼ごっこなどをして遊んでいたという
新撰組ゆかりの寺であり、局長近藤勇の胸像と遺髪塔、
屯所で粛清された芹沢鴨と平山五郎の墓や池田屋騒動で亡くなった隊士数名も
葬られてあるという。
かつては兵法調練場としても境内が使われたとかでかなり大きなお寺である。
その門をくぐってすぐ右に、新撰組隊士墓所壬生塚がある真新しい木造りの阿弥蛇堂がある。
早速、中へ・・・黄金色の龍が浮かぶ小さな池に鮮やかな朱赤色の橋が架かっている。
渡ると左に石碑がある。
三橋美智也氏が歌った “あゝ新撰組” の歌詞が刻まれている。
なんとその脇にある投入口に料金を入れるとご本人の歌声が聞えてくるとか・・・?!
が、誠に残念ながら小銭の持ち合わせがなく、しかも雨が強くなってきたので断念して
その奥にある近藤勇の胸像に向かう。

近所の子供たちにせがまれると己が拳を口に入れたり出したりしてみせる
ひょうきんさもあったというだけあって頬骨は張り、顎は角ばり、
口元はみごと横一文字に大きく結ばれた猛者ぶりの胸像であった。
初の対面にまずは合掌し、ハンディ・カムを向けズーム・イン&アウトし、パーンするとその横に
小さなしかも連名でなにやら名が刻まれた墓があった。
目を凝らすと、芹沢鴨と平山五郎の名であった・・・“粛清” という名の暗殺があったその日も
雨が降っていたという。
今から140年ほど前の文久3年(1863)9月18日の深夜に、
酒癖も女癖も良いとはいえなかった芹沢鴨を腹心の平山五郎と共々、
島原の角屋に会合として呼び出し泥酔させ、
屯所に帰参したのち妻と共に寝入ったところを襲ったとか・・・
枕頭の六角屏風を蒲団の上へ押しかぶせて手足の自由を奪う周到な殺し方だったとか・・・
その刺客は4人とか・・・史料によれば、近藤の指示をつけた歳三と総司らだったとか?!
これまで得た情報が頭に浮かび、感銘深く思わず合掌のワチキにて御座候。
すると、ア〜ラ不思議摩訶不思議?!
雨が止んで雲間から陽がこぼれて来た。
ウキウキで帰りしな、早くもセッカチな性格が顔を出してしまい、
ついに新撰組グッズに早くも手を出してしまう破目に・・・
赤地に白抜き黒文字の新撰組ステッカーと土方歳三と描かれた携帯ストラップを
早速購入してしまった!?
まだ最初の訪問先なのに?!・・・そして、おまけにおみくじまで引いた!
がしかし、おみくじを開いて思わず、ニンマリにこにこ辺見マリ!?

     ※大本山壬生寺第三十二番くじ   “大吉”

        先ずよろこびめでたき春をむかえて
        門をあくればさまざまのよき事があつまる
        さきの世のさいわいが多きゆえに
        蘭や桂の香ばしき如く永く繁昌するとなり

        願望 : 辛抱強くまじめに働け
        商い : 良し
        旅行 : 差し支えなし
        結婚 : 近きが良し  ・・・ふ〜ん、えっ〜??

さて今回から何か真新しいものを!と考えた末、やっとこさっとこ閃きし故
早速記載し候。より歳三を知るべし新企画と銘打ちその名もズバリ、

 ※新企画  ≪歳三調べはてなクイズ≫
          第一問:京都の歳三から郷里の日野の天然理心流の門人達へ
               「すばらしき貴(たっと)き物をご一統へ贈る」と、
               大きな包みが届いた。
               さて、その中身とは?

             (1):比叡山延暦寺や北野天満宮など有名社寺の
                武勲長久を祈願したありがたいお守り札。

             (2):祇園の舞妓や遊郭島原の太夫たちが使っていた
                匂い袋や櫛(くし)、簪(かんざし)など。

             (3):歳三宛に京や大坂の女たちからおくられた恋文の数々。

 

[追伸に御座る!]
     さて来たる8月20日(水)18:00より、文京シビック小ホールに於いて、
    かねて講師をしているKIEミュージカルスクール発表会が有り候。
    私も誠に恥ずかしながら、オーディション科の夢みる乙女たち7名とともに舞台に立ち候。
    加えてこれから十年間の私の「“剣”への大いなる志&心意気」も踏まえた
    十二分間のパフォーマンス!・・・となるべく只今稽古中にござる。
    もしもお時間がとれる皆さまは、是非おいで下さい!
    もち、私扱いでのご招待とさせていただきし候!!!
    ご一報、心待ちにしており候!!!

 

それでは【歳三調べ報告】の続き、並びに≪歳三調べはてなクイズ≫の回答は、
また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2003年8月5日(火)


【歳三調べ報告 { 京都編 其の弐}】

 平成15年3月8日昼近く、
小雨が止み陽が庭にこぼれる京都市指定有形文化財新選組壬生屯所旧跡(八木家)門前に
我は立つ。
一日だけの“新撰組京都取材旅”の2番目の訪問先はズバリ、あの壬生屯所である。
剣による立身出世を夢見た近藤勇・土方歳三・沖田惣次郎らは浪士募集に応じ、
文久3年(1863)2月8日朝、江戸小石川伝通院を出立し、
23日に洛外壬生に達した。
そして、歳三らの浪士組六番西組は八木源之丞宅に分宿することになる。
以来、元治2年(1865)3月10日屯所を六条西本願寺へ移すまで
ここが歳三ら新撰組の拠点となった。
壬生村郷土の佇まいを残す八木邸の正面門構え。
その右手にはお土産屋さんがある。
新撰組グッズはもとより新撰組想菓 “屯所餅” まで売っている。
しかも金千圓也が拝観料で、邸内の解説と抹茶& “屯所餅” という内容になっている。
で早速、邸内に・・・入り口でビデオ撮影の許可を求めると、拝観半券の裏に記載しているように
禁止させているとの事!
すると受付の中年紳士曰く、
「私が見つけなければOK、しばらく眼を閉じてま〜す。」という粋な計らいをしてくれた。
で急ぎ我がハンディ・カムをON !
細長い石畳からパーンして、新撰組発祥地説明立て札にアップして、
板燈籠や板堀へドーリーし、庭の草木や垣根などのカットを撮りながらいよいよ邸内へ。
三間ぶち抜きの座敷の向こうには中庭が見える。
まるで、一枚の日本画の切り絵を見るかのような爽やかさがある。
日本旧家屋の様式美からくるすばらしい遠近感のある風景である。
とてもあの芹沢鴨と愛妾お梅が惨殺された現場がこの入り口玄関の式台を上がった四畳半に続く
六畳&十畳の間だとは思い難い。
式台を上がり、上を見上げると屯所らしく数本の槍や弓が備えられていた。
正面鴨居には、「愛衆親仁」裁仁親王書という額が大きく飾られていた。
ここを歳三らは幾度くぐって、京都市中見廻りに出かけたのであろうか!    

      公用に  出て行く道や 春の月

                         〜文久三年春に歳三が詠んだという〜

尚もカットを撮り続ける・・・
数々の額や掛け軸、蝋燭立てに、欄間の桐の透かし彫り、 厠の引き戸に取っ手、
京壁を丸くぶちぬいて数十本の細い竹を格子状に組んだ障子が添えられた窓、
縁側に下げられた小ぶりの簾(すだれ)、手桶もかけられた汲み井戸、
ネ杓付きの手濯ぎ石、昔使われていたらしい鬼瓦の展示に、縁側の鴨居には
「刀傷には絶対に手をふれないで下さい。 当主」 という短冊型半紙が提げられていた?!
眼を庭に向けると梅の花が咲き、春のこぼれ陽がさしていた。
手入れがよく行き届き、整然と清々しく実に美しい!
・・・まさに日本人としてのよろこびを感じる瞬間だった。
ここを保ち続けている八木家の方々に只々頭が下がる想いでした。
京都らしい空気を胸いっぱいに吸い再び座敷に戻ると床の間には一輪の花が生けられ、
一羽の丹頂鶴が大きく描かれた掛け軸があった。
そしてその隣りには、な、なんと今特別公開中の近藤勇木彫像があった。
我がハンディ・カムを覗いていたワチキは、その可愛らしさに失禁した?!
いや、失笑した。
頭が異常にでっかく、胴が短く、しかも短足なのである。
若くして天然理心流四代目を襲名し、試衛館道場主を経て
京都守護職御預かり新撰組局長にまでなった近藤勇が
なんと三尺(90cm)ほどの見事な三頭身の木彫り像として、今、眼の前にあった。
隣の壬生寺にある胸像の凛とした凛々しさに比べ、なんとも愛らしい。
自慢の “己が拳、口入れ出し” をする姿が眼に浮かんだ。
そこへ、
 「そろそろ眼を開けて、屯所の説明をしてもよろしいですかな?」
と、先程受付をしておられた中年紳士の声がした!

 誠に恐縮ではござるがこの辺で、今回は一息いただきたく候。

さて、次は、恒例のクイズ・コーナーにてござる。

※≪歳三調べはてなクイズ≫ 前回の第一問の正解は、(3)でした。
   京都や大坂のなじみの花街の女性たちから歳三への恋情を
   切々と書かれた手紙が十数通も入っていたとか。
   (我想うに、その中には当時の京都花街女衆お決まりの
    営業手段だったかもしれない恋文もあったのでは?
    ・・・コレって、ワチキのやっかみでしょうか?! )

さてさてお待たせの第二問は?!
  第二問:歳三の生家では代々「石田散薬」という骨折・打ち身に効く薬を
       製造販売していました。
       江戸の商家奉公に失敗した歳三はその薬箱に剣道具を括(くく)り、
       背負って卸先を回り、行く先々の道場で腕を磨いたとか。
       そこで問題です!?
       その家伝「石田散薬」の使用方法は、ちょいと変わっていました。
       それはどんな風に用いたのでしょうか?

       (1):水ではなく、酒で服用する。
       (2):一服の半分は飲み、残りは水で溶いて患部に塗る。
       (3):出来たての熱いご飯にふりかけて、食べて服用する。

       それでは【歳三調べ報告】並びに≪歳三調べはてなクイズ≫続きは、
       また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2002年8月20日(水)  


【歳三調べ報告 { 京都編 其の参}】

 平成15年3月8日昼近く、小雨も止み陽がこぼれる母屋は築二百年という
京都市指定有形文化財 “新選組壬生屯所旧跡(八木家)” の歳三らが起居していたという
奥座敷に我座して耳をダンボにして聞き入る。
 「今から140年前、この場所、この座敷に芹沢鴨が酔って寝ていたところを同志に襲われた。
  その時、暗やみでつまずいた文机(ふづくえ)がコレ! 刀傷がソレ!
  もちろん、机の位置は当時のまま動かしてません。」と、ガイド説明が始まった。
なんともありがたき朝からの雨模様だったせいなのか?!・・・
なんとワチキ達だけの貸切り新撰組講義となった。
お陰さまでいろいろなQ&Aができ、まっこと幸せの極みにて御座候!!

聞くところによると、新撰組の為に “池田屋事件” 等で多くの藩士を喪(うしな)った
長州藩の遺恨は今現在も尾をひいているらしく、
全国から多くの観光客がこの屯所を訪れるが、
今だに山口県などの中国地方からの観光客は極端に少ないとか!?
・・・いやはや怨みとは、まったくおそろしや!
ガイド説明も終わり、処を移し土産物屋さんの緋毛氈(ひもうせん)がかけられた縁台の上には、
抹茶&新撰組想菓 “屯所餅” が運ばれた。
春の木漏れ陽の中でのじつに京都らしい風情のあるブランチとなった。
もちろんその後はグッズ探索?!となり・・・浅黄色ブルーの新撰組扇子をゲッツ〜!!
他のメンバーがグッズ購入思案中のちょいの間にご近所探索!?と洒落こんだ。
当時の京都が偲ばれる町並みの民家を我がハンディ・カムにおさめたい一心で・・・
すると、角に朱赤色の座布団の上にちょこんと座ってお辞儀をしている
お多福さんの置物が目に止まった。
その横には、元祖 “金つば” & “銀つば” & “芋きん”の短冊がかかり、
職人さんが今まさに製造中だった。
我がハンディ・カムを覗きながら思わず店の引き戸を開こうとすると、なんと先に戸が開かれた!?
見れば、甘党揃いの他のメンバー達だった・・・

  「めちゃ、美味そ〜う! どれにしようかな?!」

  ご助言致し候:壬生屯所を出て左に28歩行った角の和菓子屋は、
           ワチキらの一押し店と成り候。
           是非ご相伴あ〜れ!
           上記以外にも、できたて “どら焼き” は絶品にござる。

 

 では、次に、ご好評恒例必見価値あるやなしやクイズ・コーナーにござる。
※≪歳三調べはてなクイズ≫ 前回の第二問の正解は、(1)でした。
     家伝「石田散薬」の使用方法は、水ではなく、酒で服用する。
     普通は、骨折すると酒は厳禁だが・・・ほんとにその薬 効いたの?!

第三問:土方歳三は天保六年(1835)五月五日、武州多摩郡日野宿石田村の
     六人兄姉の末子として出生した。
     生家は「お大尽」とも呼ばれる豪商だった。
     そして弘化二年(1845)、11歳になった歳三は当時の農家の末子たちの宿命でもあった
     “丁稚奉公” に出される。
     さて、その江戸の商家奉公先は?

       (1):京橋越後屋呉服店
       (2):上野下谷伊藤松坂屋呉服店
       (3):神田明神下伊勢屋丹治呉服店

それでは【歳三調べ報告】並びに≪歳三調べはてなクイズ≫続きは、
また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2003年8月31日(日)


【歳三調べ報告 {京都編 其の四}】

 平成15年3月8日昼、壬生屯所前に我立ち、斜め前にある“新徳寺”門塀を見ゆ。
時は文久三年(1863)二月二十三日に入京した浪士組二百三十余名はその夜、
その“新徳寺”本堂に浪士組黒幕清河八郎に集められ、こう主張された。

 「我々はこの度 幕府の世話によって上京したが、禄位などはいっさい受けていない。
  しかるに今後は、尊皇攘夷(※天皇を尊び、外国人を国内から追い払う意)の大儀を志ざし、
  朝廷の支配下に入って働く事と致す!」

幕府に対する明らかな裏切り行為に歳三らは驚き、しかも生麦事件等での対英国対策として、
来る三月三日に江戸召還が決定されるや、 歳三はこう訴えた、
  「将軍家がしばらくご滞京なされるというに、浪士組が東下となった事は
   まったく名分の立たないものであり、我ら十三名は京に留まり
   将軍さまをお護りする存意でござる。」

その歳三の言い分を理解した会津藩松平容保(かたもり)が身柄を預かる事と成り、
のちに“京都守護職お預かり新撰組”の誕生となっていく・・・・・・
歳三らにとっては人生の分岐点のお寺を今、時空をこえて我は見ている!?
・ ・・そしてその並びには、仏光寺通りに面した旧前川荘司宅の堂々たる構えの長屋門がある。
あの元治元年(1864)六月五日朝、その旧前川邸土蔵の二階で歳三は
捕らえた古高俊太郎を拷問し陰謀のすべてをそこで白状させる。
京の町を焼き討ちし、それに乗じて松平容保を討ち、天皇を長州に連れ去るという
まさしくクーデター的内容・・・そしてその夜、世に言う“池田屋事件”となっていく!!
そうこの前川邸では「局中法度」により、副長“山南敬助”に副長助勤“野口健司”も
腹を切った処でもある。
聞くところによれば、新撰組が去る時に部屋代として差し出されたのは
わずか10両だったとか・・・?!
などなど当時への想いに頭の中は幕末一色のワチキでありんした。
そのとなりには美味そうに例の店の一押し“ドラ焼き”をほうばり、
甘党談義に花が咲くメンバー達がいた!?

   こころに沁みる想いより  わが友今は

       腹にしみ入る ドラ焼きへの思いかな いと淋し

では次なる訪問先へ移動!・・・そしてその地こそあの???・・・
がしかし、紹介は次回と致し候。
何卒ご了承くださ〜れ!?


では次に、ご好評恒例必見価値あるやなしやクイズ・コーナーにござる。

≪歳三調べはてなクイズ≫ 前回の第三問の正解は(2)でした。
  11歳になった歳三が“丁稚奉公”に出された江戸の商家奉公先は?
  “上野下谷伊藤松坂屋呉服店”(現在の松坂屋百貨店)だそうです。
  でも、幼き頃から「われ壮年武人となって、名を天下に上げん」の志があった歳三は
  もちろん長くは続かず、故郷日野までの40キロ程もあろうかという夜道を
   歳三少年は10時間近くかけて実家に戻ったとか。
  ちなみに他の呉服店は今の、
   (1):京橋越後屋呉服店は、「三越」
   (3):神田明神下伊勢屋丹治呉服店は、「伊勢丹」です。

さてさて皆様お待ちかねの第四問は?

  第四問:豊玉(ほうぎょく)発句集“・・・歳三の俳号は「豊玉」。
  薬売り行商と剣術修行の道すがら、
   大空に澄みわたり流れる雲を見ながら筆を走らせたであろう四一句がこの句集である。
  さて、次にあげた句の中で実際に歳三が詠んだ句はいずれでしょうか?

   (1):動かねば 闇にへだつや 花と水

   (2):春風に 吹き誘われて 山桜

   (3):しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道

それでは【歳三調べ報告】&《歳三調べはてなクイズ》 続きは、
また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2003年9月15日(月)


【歳三調べ報告 {京都編 其の五}】

 平成15年3月8日昼過すぎ、我らは高瀬川に架かる三条小橋近くを探索す。
その地こそ、元治元年(1864)六月五日夜、あの事件現場である長州藩の定宿であった
間口三間半(6.9m)、奥行き十五間(29m)、総建坪八十坪で客室全体の畳数が
わずか六十畳ほどであったという旅籠 “池田屋” である。
その日の朝、捕らえた桝屋喜右衛門こと古高俊太郎の自供により
京都市中焼き討ち計画の全貌を知った歳三らは、
市中某所にて集会が近くもたれる事に、もはや一刻も猶予ならず!と伝令を会津藩邸へ走らせ、
事態を報告するとともに応援兵を依頼した。
報告を受けた会津藩の手配で桑名藩・彦根藩・備中松山藩をはじめ、
町奉行所からも応援の兵が繰り出されることとなった。
諸藩兵との集合は刻限五ツ時(午後8時)、祇園三条先斗町の町会所と決した。
しかし夕暮れ近くなっても援兵は町会所に来なかった。
泰平の世に慣れきった諸藩士たちには、ここ一番という時の機動力が決定的に欠けていた。
このままでは不審浪士たちを一網打尽にする絶好の機会を
逃すことになるとふんだ歳三と近藤勇は、新撰組単独による御用改めを開始する。

時は元治元年六月五日夜四ツ時(午後10時)、おりしも京都は祇園祭の宵宮の夜であった。
三条小橋 “池田屋” の木戸が叩かれ、池田屋主人惣兵衛はあの声を聞くこととなった。

  「主人はおるか? 我らは会津中将様お預かり新撰組である。
   只今より御用改めをいたす。木戸を開けろ。
   無礼いたせば容赦なく斬り捨てる!!」

おもわずそんな台詞を口ずさむ我が眼に、あのいろんな文献ですでに見ていた石碑の文字が
飛び込んできた・・・!?
そこには、「史蹟新撰組池田屋騒動之址」と刻まれていた。
即、合掌のワチキ!・・・のちにS旅館となり、まがりなりにも旅館として
一昔前までは残っていたらしいが、いつしか米国の白髪おじさんが隣リに立つことになり、
今は “パーラー” いわゆるパチンコ屋の店先の片隅に建っている・・・
・・・なんとも140年という時のながれを痛感した。
そして、次なる訪問先に向かう!
そこは、今も立派に残っている。
あの新撰組一番隊隊長 “沖田総司”が恋心を抱いた町医者の娘さんが
美味しいお茶を点てる為に水を汲みに来るその場所へお忍びで見に出かけていたという・・・
あの京都観光名所 “清水寺”の奥に流れる “音羽の滝” でR。
 が、その模様は又次回のご報告でござ〜る!?

では次に、ご好評恒例人気沸騰中の、必見の価値あるやなしやクイズ・コーナーにござる。

≪歳三調べはてなクイズ≫ 前回の第四問の正解は(3)でした。

 “豊玉 (ほうぎょく) 発句集”・・・あげた句の中で
  実際に歳三が詠んだ句は、

    しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道

 でした。ワチキの調べたところでは、とある経緯から知り合った
 長州藩京都屋敷出入り経師屋勢次郎の未亡人 “おふさ”への想いから詠んだ句らしい?!・・・
 では他の句の説明もいたしましょう!

  (1)動かねば 闇にへだつや 花と水

       この句は、沖田総司が千駄ヶ谷植木屋平五郎方で療養生活を送っていた頃に
       詠んだものであるとか。
       しかも、歳三が詠んだ

    差し向かう 心は清き 水鏡

       に対する歳三宛ての返歌なのかも?・・・とか。

 (2)春風に 吹き誘われて 山桜

       この句は新撰組副長山南敬助の死を悼み、
       伊東甲子太郎が詠んだ心情あふれる和歌の上の句です。
       下の句と合わせると、

    春風に 吹き誘われて 山桜

            散りてぞ 人に惜しまれるかな

ではでは、お待ちかねの第五問といたしましょう。

    第五問:幕末の動乱期には暗殺が横行した。
         それを避けるために、尊攘派志士だけでなく、新撰組隊士も変名を用いた。
           では、歳三の変名は次のうちどれでしょうか?

              (1)大久保大和
              (2)才谷梅太郎
              (3)内藤隼人
              (4)肘方年坊

それでは【歳三調べ報告】&《歳三調べはてなクイズ》続きは、
また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2003年10月1日(水)



【歳三調べ報告 {京都編 其の六}】

平成15年3月8日昼すぎ、産寧坂を登る我の脇を
蛇の目傘を差されながらうら若き舞妓さんが通る・・・まさしく京都ならではの風情でR。
思わず「ビデオに撮っても宜しいですか?」と尋ねると微笑む舞妓さん!
蛇の目傘を差す付き添いさんが「どうぞ、お撮りやす。初めての舞妓姿やさかい!?」
「?!」のワチキ。
聞けば京都観光名物の “一日舞妓さん” とか。
素人さんが舞妓さん姿に変身して清水寺をバックに記念撮影するものとか?!・・・
と〜ても可愛らしい舞妓さんぶりでした。
でも、一言も声をきけましぇ〜んでした。只々首だけでコックリうなずくうなずき人形さんでした。
この産寧坂を登りつめると、松原の方から登っている清水坂の中途に出る。
その上の石段をあがると正面に朱塗りの仁王門がある。
その坂に更に高い石段が聳えており、登りつめると 八脚の華奢な西門が古びて立っている。
そして、有名な清水の舞台に出た。
下は断崖である。覗くと紅葉や楓の葉が渦をなすようにして谷に満ちていた。
西を見れば、遥かに天がひらけ、西山の峰々がかすみ、王城の屋根の波が眼いっぱいに見える。
そして谷へ向かい、ふち苔の厚い石段を踏みながら、歩一歩の楓葉の海へ下りて行った。
しばらく楓の森を歩いていくと、目の前に音羽の滝が現れた。
滝というものではなかった。楓の枝が被さった石垣の上に、石樋が出ている。
その石樋から細い水が三筋、糸を引くようにして落ちているだけである。
お茶にうるさい京の人は、お茶を点てる時はわざわざこの音羽の滝の水を汲みに来るとか・・・。
その音羽の滝の前に、床机に緋毛氈を敷いた掛茶屋が紺の暖簾をかけて並んでいる。
総司は、なにげなくそこへ腰をおろした。歳三も同じように腰を掛けて並んだ。
と、司馬遼太郎作「新選組血風録」に収められている短編 “沖田総司の恋” の中で語られている。
早速ワチキは、今もその面影を残す茶屋の緋毛氈が敷かれた長縁台に腰かけて、
音羽の滝を見上げ眺めた。
ふと、あの初々しいうなずき人形の俄か舞妓ちゃんの姿が音羽の滝の清水にダブって映った。
淡き恋ごころを抱いた総司は、いったいどんな想いでここに佇んでいたのでありましょうか?!・・・

そんなロマンチックモードのワチキの隣りで他のメンバーは?・・・
「おねえさ〜ん、注文おねが〜い! 僕は大盛うどんで・・・ワテは、団子二皿に温かいお茶・・・
 俺はちょっと冷えるから熱燗と、それと?・・・」
等など例の調子の食欲旺修学旅行生モード・・・?!

こころに沁みる 恋よりも わが友またも 食い気かな いと淋し

♪〜
 と、嘆く、ワチキもウオッチを見てびっくりシャックリ徳利?!・・・
徳利、ランチタイムは過ぎている。
ゆえにワチキのオーダー和正は、熱燗一合徳利一本、それにとっくり漬かった京漬物。
まさに京気分に、徳利とっぷり浸かっているのでア〜ル。
は、やっぱりQのあと?!
オットーォ!夫は既婚女性のお相手?・・・
いやはやオット失敬借景渡辺いっけい!・・・
それにしてもワチキ等は誠になんという幸運なことか!
その日は、なんと “音羽山清水寺奥之院御本尊御開帳拝観” の初日!・・・
の次の日?!であった。もちろん、拝観いたし候。
まさに歴史の重みを感じる結構日光コケッコーなひとときでした。

松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すヾしかるらん

と、拝観券の裏に記されし句あり。
さて、いよいよ今回の “新撰組京都取材旅” 最後の訪問先へ参りま〜す!
もちろん、当時のままに残されている処に御座る!・・・其処は!?
と言うところで本日は〜、ここまでに御座〜る!

さてさてそれでは皆様お待ちかね、すっかり定着恒例好評の、
お役に立つのか立たぬのかサッパリ分からぬ《歳三調べはてなクイズ》コーナーです。

 前回の第五問の正解は、もちろん(4)、 ではなくて(3)でした。

    では、お楽しみの解説です。他の変名の主はと言うと、
         (1)は、新撰組局長の 近藤勇
         (2)は、土佐藩脱藩浪士の 坂本竜馬
         (4)は、ご存知、新田たつお原作 “静かなるドン” の
              肘方組組長の本名で〜す。

 さて、我聞き及びしが正解者多数との事?! ・・・で今回は、
 カナリの難問をご用意いたしました。では、
   第六問:下に挙げた同時代人から見た土方歳三評のうちで
        正しくないものは、いったいどれでしょうか?

        (1):「身丈六尺、眉目清秀(びもくせいしゅう)
           ニシテ頗(すこぶ)る美男子ナリ」
        (2):「沈毅(ちんき)ニシテ事ニ耐エ、寛裕(かんゆう)
           ニシテ物ヲ容(い)ル」
        (3):「鋭敏沈勇(えいびんちんゆう)、百事を為す
           雷(いなずま)の如し」
        (4):「其言質実、絶エテ誇張ヲ事トセズ蓋(けだ)シ
           君子人也」
        (5):「一奇士ナリ」

              お・わ・か・り・かな?!

それでは【歳三調べ報告】&《歳三調べはてなクイズ》の続きは、
また次回へと致すべく宜しくお願い申し上げ奉り候。

2003年10月16日(木)
   


【歳三調べ報告 {京都編 其の七}】

 平成15年3月8日夕刻、維新当時の名残りを残こすあの地に立つ。
慶応二年(1866)正月二十二日午前三時頃、
竜馬と慎蔵の寝床をとったあと階下へおり廊下を渡って、おりょうは湯殿へ行った。
ゆっくりと戸を開け、なかに入り、鉄砲風呂の蓋をとった。
濛(もう)と湯気があがり、薄暗い湯殿行灯がいっそう暗くなった。
奇妙なことに気づいた。
湯気が流れているのである。(なんだ!?)と、
おりょうは我ながら、自分のうかつさがおかしくなった。
窓が開いている。 窓は裏通りに面している。
おりょうは手を伸ばしてそれを閉じようとして、あっと声をのんだ。
裏通りにびっしりと人が並んでおり、提灯が動いている。(捕史?!)
と、思ったとたん、おりょうは湯殿をとびだした。
裏階段から夢中で二階へ上がり奥の一室に飛び込むや、
「坂本さま、三吉さま、捕り方でございます!」と、小さくしかし鋭く叫んだ。
その注進により、竜馬と三吉慎蔵は見事百名近い捕り方から斬りぬけるという
前代未聞の奇蹟を起こすこととなる。
その時おりょうは、素裸だったという。
京伏見にある坂本竜馬ゆかりの旅籠 “寺田屋” での名高い話である。

 ワチキは二度目の訪問であった。今回は、VTRを持っている。
早速、了解を得て撮影開始!
外観を撮り、中へ。玄関から奥座敷へと展示品をくまなく撮り、そしていよいよ二階へと向かった。
カメラのフェンダーを覗きながら、登っていくワチキは思わず三秒は凍りついた!?・・・
画面一面にあの顔がアップで映っていた!・・・もちろん、寺田屋女将 “お登勢さん” でも、
坂本竜馬でも、金八先生でもない!・・・あの土方歳三であった!!・・・
二階の登り口正面にあるそのポスターは、
今年四月に行われた “京都・新撰組展” のものだった。
こんな処で歳さんに再会しよう!とは、まさに運命を感じた瞬間でした。
それからは、司馬遼太郎作 “竜馬がゆく” 怒涛編の 「伏見寺田屋」 を
実写ドキメンタリー的タッチで撮ることとなり、他のメンバーは先に森本車でお腹グ〜グ〜で
待ち人来ずモードとなっていた。そして、無事完了!・・・メンバーへのお詫びにと、
ワチキが勝手にお馴染みさんで〜す!?と決めこんでいる
京都市中京区先斗町通り四条上ガルにあるお食事処 “山とみ” の京子女将に久しぶりに逢う為
訪ねることとした。
運良く窓際席が空いており、早春の鴨川を眺めながらの賑やかな夕食の宴となった・・・
めでたしめでたしの京都新撰組取材旅となった!・・・
第七稿と続いた【歳三調べ報告 {京都編} 】も今回で、メデタク完了と相成り候!!

 さ〜てさて近頃巷では知らない人以外は知っている?!
 すっかり定着したよなしないよな、只今人気沸騰中のお役に立つのか立たぬのか
 サッパリ分からぬ《歳三調べはてなクイズ》コーナーです。

 前回の第六問の正解は、ズバリ(1)でした。

   では、お待ちかねの解説です。
        (1)の「身丈五尺五寸、眉目清秀ニシテ頗る美男子ナリ」
            (身長は165cm、容貌が清くすぐれていてとても美男子である。)の意。
              ・・歳三の姪の夫で小野路村名主であった
                       橋本政直氏「両雄士伝補遺」より。
        (2):(落ち着いて物事に動せずに対処し、
             心が広くゆったりしていてよく物事を聞き入れる。)の意。
              ・・歳三の遠縁にあたる多摩郡小野路村在の
                      漢学者 小島為政氏 語る。
        (3):(鋭敏かつ沈着で勇気がある、なにをしても稲妻のように敏速だ。)の意。
              ・・幕府奥医師 松本良順氏 手記に記す。
        (4):(歳三の話は飾り気なく真面目で、少しも誇張することがない。
             まさしく君子ともいうべき人だ。)の意。
              ・・佐倉藩士 依田学海氏著 「譚海」に記す。
        (5):(世にも珍しい優れた人物なり。)の意。
              ・・幕府陸軍総裁 勝海舟氏著 「解難録」に記す。
             ・・・ちょいとヒッカケ問題で失礼に御座〜る。・・・

 それでは、第七問に御座る。
   【第七問】
     天保十年(1839)に開かれた江戸市ヶ谷甲良屋敷の一角にあった
     天然理心流道場 “試衛館” の板看板をとある経緯で歳三自身が書くこととなった。
     が、書き上げた板看板の文字を見てそうは読めないと陰口をささやかれることとなった。
       では、いったいどんな風に読めたのでしょうか?

         (1):「試」 が 「誠」 に見えて・・・「誠衛館」
         (2):「館」 が 「語」 に見えて・・・「試衛語」
         (3):「館」 が 「飴」 に見えて・・・「試衛飴」

   《 お尋ね事への返答に御座候 !》
     〔其の1〕
      「静かなるドン12」でのラスト・シーン近くの各々への返り血をあびる場面での
       撮影手段は?・・・
      鹿島監督自身が美術スタッフの作った食紅を加工した
       撮影業界用語の “血糊” という物をコップに入れたり、自らの口に含んだりして、
       タイミングよく役者各々の顔めがけてかけた熱血熱情ド迫力シーンにて候。
       無論、皆一発OKだと聞いてお〜り候!!
     〔其の2〕
      さて次なる拳銃発砲の件でござるが、
       あれは拳銃発砲専門のプロの実に見事に計算尽くされた技にて候。
       銃口からまさに火が吹くよう、そう見えるようにと銃弾に微妙な分量の火薬をセットした
       電流仕掛けの発砲拳銃を其の度ごとに役者に渡すのでござる。
       そしていよいよアクション(発砲)!と相成るので御座る。
       無論先刻ご存知とは存ずるが、銃弾は飛びましぇ〜ん。
     〔其の3)
      ご質問の顔の汚れのアン・マッチに関しては誠に申し訳なき事ながら、
      編集をなさった監督自身にお尋ね下さ〜れたく御座候。

2003年10月29日(水)


【歳三調べ報告 { 日野番外編} 】

“第6回ひの新選組まつり” 5/10(土)・11日(日)
日野市役所周辺では大道芸や御神輿、ひのよさこい踊り、寅さんそっくりショー、
新選組コンテストなど楽しい催しが行われます。
11日には新選組隊士に扮したパレードが日野市内を練り歩きます。
お楽しみに!〔パレード〕 高幡不動尊 10:20 スタート!
とか?!・・・京王線高幡不動駅構内にポスターが貼ってあった。

駅改札を出ると駅前ロータリーには、「ひの新選組まつり」の幟旗が元気よくなびいていた。
そして、なにやら土方歳三を唄ったらしい演歌が参道にながれる中、一路高幡不動尊へ。
「高幡山」と書かれた山門をくぐると、左方向に威風堂々とした銅像が見えてくる。
あの “土方歳三の像” なのである!!・・・その姿は凛々しく、
誠一字が刻まれた額当て付き鉢巻をきりりと締め、胸前に家紋 “三つ巴” 入りの皮胴をつけ、
背に誠一文字と両袖にはダンダラ模様のご存知新選組揃隊羽織に袴姿。
左手は愛刀 “和泉守兼定” の鞘をしっかりと握り、
しかも親指は木瓜形鍔(もっこうがたつば)にかかり、右手を拳に握りしめ、
まさに即抜刀の臨戦態勢の歳三であった。
!・・・像前には供物の林檎と生花が華やかに飾られてあった。
その前をパレードの準備や記念撮影の為か?!
忙しく動くそれぞれの扮装姿の市民の皆さんが大勢通った。
「蝦夷新撰組」「甲州鎮府隊」「横須賀開国甲冑隊」「彰義隊」などなど百名はいる?!
であろうか・・・
若武者姿の青年や矢絣(やがすり)柄の着物に襷鉢巻袴姿の乙女。
それから甲冑姿おじさんに、巴御前似の薙刀持ったおばちゃまや
旗持ち歩兵姿のお爺ちゃんなど等の一般市民の皆さん。
その中に、新撰組副長時代のまさに銅像そっくりのいでたちの若い歳三と
五稜郭時代の様式軍装姿の立派な歳三がいた。
本堂前では一番隊から十番隊までの隊旗がなびくなか、
新撰組隊士勢揃いの記念撮影も行われていた。
不動尊内外はまさに新撰組一色!
・・・ふたりの歳三を漫画化したポスター「日野が動く。時代(とき)が変わる。」も実に初々しく眼にとまった。
他にグッズもいっぱいあった。
「新選組ソフト」 { 抹茶が近藤勇、バニラが沖田総司、黒ごまが歳三、なぜかブルーベリーが
井上源三郎?!の4種類 } に「土方歳三うどん」「歳三散華せんべい」、「新選茶 “誠”」、
「沖田総司(そうじ)の初恋まんじゅう」「名産土方歳三 “きゃらぶき”」「歳三ビール」「歳三もなか」
「歳三まんじゅう」等々・・・実に楽しい。
そんな中ふと我がNIKEウオッチを覗けば、パレード開始までまだまだ時間があ〜る!
で、【歳三調べ日野編 {其の三} 】で行けなかったあの場所へと向かった。

「・・・略・・・そして、土方家門前でもう一度最敬礼し、万願寺駅に向かいました。
帰路はもちろん徒歩ではなく、多摩モノレールにての帰還といたしました。
モノレール到着後、車両連結近くのいつもの指定席に座り、
展示品ガイド説明の際にいただいた1枚の栞を広げました。
歳三の略歴&系図と裏には日野新選組マップが?!・・・あっと見たとたん
ワチキの脳天に雷鳴とともに稲妻型閃光が落ちました。
えっ〜、資料館と反対の線路向こうに歩いて僅かのところに
歳三のお墓があるお寺があった〜ん・・・?!」

そこは、歳三のお墓があるお寺で〜す!・・新撰組副長土方歳三生誕の地の看板のある
多摩モノレール「万願寺」駅下車し、資料館とは反対方向にあるその名も “眞言宗 石田寺”
・・・ 「いしだでら」 ではなく 「せきでんじ」 と読む。
実にお寺の周りは、 土方の姓の家ばっか?!なのであ〜る。
境内に入り、お墓を探そうとするがその必要はなかった。
すでに、その前は人だかりになっていた・・・
「歳進院殿誠山義豊大居士」 と刻まれた真新しい墓石の前には、
椅子に座り左手を粋に腰に添えたあの様式軍装姿の歳三写真の手札サイズと色とりどりの
たくさんの生花が豪華に飾られていた。
墓前法要の準備が進む中、ふと右後方ブロックの撮影クルーの数人に関心が移った。
なにやら、撮影を始めるらしい?!・・・で、早速、そちらに向かった!・・・
そして、運命的出会いを感じる瞬間をまた味わうこととなった!!・・・
そこには多くの文献に記載されているあの朽ちて戒名も見ずらい当時のままの墓石が
補強されて重々しく立っていた。
撮影内容によると墓石を歳三の実家が薬行商をしていたせいか・・・“病気完治願い”の為か?
削り取っていく輩が多く、そのせいもあり著しく朽ちた為にこちらに移して保護しているとか・・・
我が手を合わせ、そして頭を垂れ、拝む!!
・・・5月11日は先刻ご存知だとは存ずるが、歳三の命日であります。
時に明治二年(1869)五月十一日、弁天砲台に孤立した味方を救出する為に
箱館市内に突入したが、午前十時ごろ腹部に官軍の銃弾を受けて、戦死した・・・という。
石田寺の門前で再び一礼し、市内新選組扮装パレードを見に戻る為、
我がNIKEウォッチを覗けば、時計の針は午前10時42分を指していた!?・・・合掌・・・


只今一部の人々に、人気沸騰中のお役に立つのか立たぬのかサッパリ分からぬ
《歳三調べはてなクイズ》コーナーです。

 前回の第八問の正解は、ズバリ(1)でした。

      「散りてあとなき」・・・ 早乙女貢  著
         新撰組の旗に “誠” の一文字が書かれていたことから、
         “試衛館” はもともと “誠衛館” なのではないか?という説があるが、
         本編では歳三が “誠衛館” と書いた道場の看板の文字が
         “試衛館” と読み違えられ、それがもう一人の局長助(副長)
         山南敬助との確執にひと役買っていると言う設定がおもしろい?!

さて、【第九問】
  上記のとおり、“第6回ひの新選組まつり”は盛大に行われ、
  実に楽しいたくさんのグッズがあり、微笑ましかった。
  そんななかに、ミディアムサイズのワインボトルもあった?!
    では、そのラベルにあるネーミングはどれでしょうか?

       (1):“ボジョレー・ヒーノー・誠(まこと)”
       (2):“日野厳選ワイン・新鮮組”
       (3):“土方歳三の血”
       (4):日野新選組御用達 “燃えよ、ワイン”
       (5):石田散薬秘蔵ワイン “Yo〜Ku・KiKu”

2003年11月13日(木)
       


【歳三調べはてなクイズ?!{其の一}】


最近とみに巷では、イケメン“はてなクイズ?”ブームにて抱腹絶倒者が続出したとか?
しないとか!・・・はたまたお役に立つのか?立たぬのか!
サッパリ分からぬ 《歳三調べはてなクイズ》 コーナーにて御座候。

   前回の第九問の正解は、ズバリ(3):“土方歳三の血”でした。
   醸造元は函館にあり、酸味と渋みのバランスに優れた風味豊かな
   ミディアムサイズの本格的赤ワインボトルとか!?

で〜は、問題にござる!?
今までに “新撰組”についての物語は映画に、テレビに、舞台にと数多く製作されて来ています。
私が来年演じます “土方歳三”役も多くの諸先輩がやられています。
がそこで、問題で〜す!

 【第十問】   昭和42年に公開された映画「幕末てなもんや大騒動」という作品で
        “土方歳三”を演じたのは、どなたでしょう?
            (1):財津一郎
            (2):伊東四朗
            (3):いかりや長介
            (4):小松政夫

 【第十一問】  昭和60年に公開された映画「必殺2〜ブラウン館の怪物たち〜」の作品で
         歳三を演じたのは “西川のりお”ですが、
         では“沖田総司”役は誰だったでしょうか?
            (1):西川きよし
            (2):桂三枝
            (3):明石家さんま
            (4):月亭八方

 【第十二問】  平成15年公開された映画「壬生義士伝」で
          “歳三”を演じたのは誰だったでしょうか?
            (1):山本耕史
            (2):伊原剛志
            (3):野村祐人
            (4):ビートたけし

以上今回は3問で〜す!?

 【“は〜てなクエスチョン?!”の返答にて御座候】
     沖田寝多氏の運転する車の助手席に乗りたがってる?という、
     摩訶不思議モードのみいこ嬢からのお尋ねの件にて候。
     その一件とは、新鮮組本部会議室での沖田組長御用達の昼食{松花堂弁当}の中身は?
     ・・・もちろん、本物が入っています。
     脇にあるお茶もモチ本物で、全ての物は小道具スタッフが用意し、
     埃の多い撮影現場の為リハーサルやカメラ・ポジションが変わる度にその都度
     ラップをかけたりはずしたりして、いつも衛生面や俳優に温かく美味しい食べ物を!
     と、工夫をしてくれています・・・まっこと、忝き(かたじけな)ことこの上なし!!・・・
     さて、もう一つのお尋ねの “ラッキーライス” に関してはなかなか思い出せましぇ〜ん!
     ・・・ロケ現場&ロケスケが違う為にワチキには知らないことなのかもしれましぇ〜ん・・・
     申し訳な〜いで御ザ〜ル!で、来年の干支は “申” でご猿。

《追伸》
   “平和祈念フォーラム2003”の祈念劇をご覧いただいた皆さまには、
   本当にありがとうございました。
   この劇中の “中川軍曹” & “老兵士・多田”に出逢えたことは、
   私の今年最大の収穫でした。
   もしよろしければ、祈念劇&役柄&戦争&今回の企画についての
   ご感想をぜひ書き込みくださ〜い・・・・・・・・宜しく!!

2003年11月30日(日)


【歳三調べはてなクイズ?!{其の二} 】

  前回の「第十問」&「第十一問」&「第十二問」の正解は、

        ズバリ!・・・いずれも(3)にて候。

  さてさてここ最近の巷では、“新撰組コーナー”なるものが全国各地の書店に出現し、
数多(あまた)の関係関連出版本が刊行されて、 正に脅威乱舞が如きの数量にて候。
ホンニ来年は日本列島 “新撰組 year〜”に相応しく・・・正しく準備万端恙(つつが)無く
益々わが国 “ひのもと日本”は、著作権長者生活保持者や希望者の、
<皆で創ろう総商人(あきんど)の輪>化現象による家内安全&商売繁盛祈願な〜る「不景気&政治不信一新一掃セ〜ル!」的モードのDecember師走フィーバーの
書籍出版業界がなせる技!?・・・にて候。
したがい、すでに “新撰組の謎を解く”などという本もすでに数冊出てお〜り候。
そこで、これまでの出題した問題の復習として改めて “土方歳三”の生い立ちに関する
基本的な問いに〜てご〜猿?!・・・では、いざ参るで御座〜る!

 【第十三問】 “土方歳三”は、武蔵国多摩郡石田村の富豪の家に、
          天保六年(1835)の・・・?月?日にうまれた〜か?
                  (1):一月一日
                  (2):三月三日
                  (3):五月五日
                  (4):七月七日

 【第十四問】 兄弟は、「為二郎」・「喜六」・「大作」の三人の兄と、
         「周」と「??」の二人の姉をもつ末っ子でした。
         さて、もうひとりの姉の名は・・・?
                  (1):「ふね」
                  (2):「とら」
                  (3):「のぶ」
                  (4):「なべ」

 【第十五問】 歳三の生い立ちは不幸だった。
         「父・善諄(よしあつ)」は、生まれた翌年に他界した。
         「母・恵津(えつ)」も生後六年後の天保十一年に同じ病で逝った。
         さて、その病とは・・・?
                  (1):破傷風
                  (2):伝染病
                  (3):労咳
                  (4):虫垂炎

 【第十六問】 突拍子のない夢 “大人になったら武人になる!”と言う歳三を
         ただ一人激励し続けた長兄「為二郎」は、五体満足ではなかった。
         故に家督は次兄「喜六」に譲られた。
         では、一体なにが不自由だったのでしょうか・・・?
                  (1):片脚
                  (2):片手
                  (3):両目
                  (4):両耳

 【第十七問】 歳三は十一歳の時、江戸上野広少路の「松坂屋」へ奉公に出た。
         が、態度が悪かったのか?番頭に殴られて店を飛び出してしまう。
         そして、十七歳の時に再び奉公に出た。
         そこは、六年前の「松坂屋」の支店:大伝馬町の木綿問屋だった。
         さて、その店名は・・・?
                  (1):「鶴店」
                  (2):「兎店」
                  (3):「亀店」
                  (4):「梟(ふくろう)店」

【第十八問】 奉公に失敗した歳三は、土方家家伝の薬「石田散薬」の行商をやらされた。
        さて、実家近くの多摩川や淺川に自生している薬の原料となる草の名は・・・?
                  (1):「馬革草」
                  (2):「豚革草」
                  (3):「牛革草」
                  (4):「鳥革草」

【第十九問】 さて、その「石田散薬」の効用とされてないのはな〜に・・・?
                  (1):捻挫
                  (2):筋肉痛
                  (3):二日酔い
                  (4):関節痛

【第二十問】 行商の歳三が背負う薬箱には剣術道具一式も括り付けられ、
        行く先々の道場で剣の腕を磨いた。
        そして、嘉永四年(1851)、ある剣術の流派に運命的入門をする。
        その剣法とは・・・?
                  (1):千葉周作の「北辰一刀流」
                  (2):斉藤弥九郎の「神道無念流」
                  (3):近藤周介の「天然理心流」
                  (4):桃井春蔵の「鏡新明知流」

以上、今回はここまでに御座〜る。

いと易しき問いにて、手応えなきはどうか次回にご期待下され〜い!?
で〜は、また難問を従えて参上仕り候ゆえ、こ・こ・ろ・され〜い!!

 【お尋ね事の返答にて候】
   九曜紋氏からのお尋ねがありし、懐かし“静かなるドン2”冒頭でのクラブ内格闘シーンで、
   拙者が演じし「沖田寝多組長」が格闘アクションの間に発した言葉は、いったいナ〜ニ?
   ・・・とのお尋ねで御座った!・・・
   何分かなり以前の事ゆえ拙者の記憶も定かではない為に、改めてビデオ・チェック致し候
   ・・・顧みて考えるに、「馬鹿野郎〜!」と言いたかったのだが、
   余りにアクションに力が入りすぎた為に下記のような呂律(ろれつ)になったのではと、
    推測され候?!
   「ば・か・や・ろ〜う!」→・→・・→「ばぁ〜ろぉ〜う!」
   恥ずかしき事、この上なき次第にて候。
   誠に申し訳な〜い事で御座〜る!

   2003年12月12日(金)


過去ログ

2007年6月〜10月19日

2006年7月22日〜2007年5月12日

2005年8月15日〜2006年6月29日

2005年1月元旦〜2005年5月18日

2004年1月元旦〜2004年12月24日

2003年6月9日〜2003年12月12日

2002年11月28日〜2003年 5月20日

2002年11月25日  「ばかはしななきゃなおらねえ」平成十四年度版 御礼文

2002年 8 月25日〜2002年11月19日


メッセージトップに戻る


 
  Copyright (c) 2002-2007 "飯山弘章公式 名もなき勇者" All rights reserved.
mail to info@iiyama-hiroaki.jp
 
 HIROAKI IIYAMA OFFICIAL